中城健太郎

 ぼくにとって、マンガの師匠というのは、二人いる。

それは、石森章太郎先生と、中城健太郎先生だ。

石森先生が、母のような人なら、中城先生は父のような人だった。

 

高校の卒業式を終え、わずか3日後、ぼくは上京した。

当時、小学館・少女コミック副編集長だった山本順也氏の

「高校を卒業したら、東京に出ておいで、、。」と、いう言葉だけを頼りに、小学館を訪ねると、

「じゃあ、ゴロちゃん。行こうか。」と、いきなり、タクシーに乗せられた。

自分がどこへ向かっているのか、これからどうなるのか、全く分からないままだった。そして、着いた所が、郊外の、東京と埼玉の県境に近い東久留米市にある団地だった。

『あっ、ここは来たことがある。』と、思った。高校在学中に、やはり山本氏に連れられて、一度だけ訪ねたことがある所だ。

その部屋は、4階にあった。

「ジョーさん、居る?」

「いらっしゃい。山本さん。」

「ジョーさん」と、呼ばれたのは、当時、アニメでも流行っていた「キックの鬼」を、描いていた中城健太郎先生だった。

山本氏と中城先生は、旧知の仲のようで・・・というより、後々に知ったことだが、この山本氏は、現在の漫画界の大御所と言われる先生達の間では、知らなきゃもぐりだって言われるぐらいの人。そして、漫画に対する造詣も深い人なのだ。小学館を、定年退職された今も、京都精華大学漫画科で、教鞭を執られている。

「今日から、この子を頼めないかな。」 「いいですよ。おっ、去年の夏に来た子だね。」

「はい。山田ゴロといいます。」 「そうそう。ゴロちゃんだ。」

………ということで、その日から、ぼくは中城先生のアシスタントになった。

中城先生は、ガッチリとした体格で、身体の各部品がでかい。目玉がグリグリしている。鼻の穴が大きい。唇が厚い。手がデカイ。足が太い。動物に例えるなら、ゴリラ以外にはないだろう。それも凶暴な………だ。

厳しい先生だった。しかし、ぼくには、何よりも、その厳しさが必要だったと思う。

ぼくは、それまで、絵を学んだことがない。例えば中学校でも高校でも、美術クラブにさえ、入ったことがなかった。マンガは、真似から始まって、しっかりとしたデッサンなんてとれていなかったし、考えて描くなんてこともしたことがなかった。

定規を使って平行線さえ上手く引けなかったし、遠近法や一点通し・二点通しという技法さえ知らなかった。 「我流」といえば聞こえがいいが、ただの素人だったのだ。

中城先生のところでの生活は、毎日が、プロになるための勉強だった。

 

朝、起きると、まず先生の机の上を整理して、まわりを片づける。墨ツボの中の墨汁を、新しい物に取り替える。鉛筆を削る。これだけは、絶対に欠かせないことだった。

朝ご飯は、それからだった。

先生が、仕事の席に着くまでの間は、真っ白な用紙に、ペンで線の練習をする。原稿用紙に、ピンで穴を開け、鉛筆で枠線を引いておく。資料の写真や、本を探しておく。こんな事が日課だった。それは、儀式のようなことで、なんてことはない。

そして、仕事が始まる。普段は、優しい先生だが、仕事が始まると豹変する。

「ゴロ、なんだこの線は!」「ゴロ、デッサンを取り直せ!」「ベタもまともに塗れんのか!」

・・・・・・・・・・・・・・・・実に、プロというのは、凄いものだ。たった一本の線にこだわる。

こだわるといっても、自己満足のためのこだわりではなく、読者のためのこだわりなのだ。

「こんな汚い線を、読者が喜んでくれるか!」「こんなデッサンで、読者が分かるか1」というように、マンガというものが、読者に何かを伝えるという手段に、絵を用いているのだと教えられた。

仕事が忙しくなると、2日や3日の徹夜は当たり前だった。本当にフラフラになるまで、描き続けた。とても辛い。辛くて辛くて、何度、逃げ出したいと思ったことか。

実際、逃げ出したことがあった。

 

ぼくは、アシスタントというより、住み込みの弟子だった。3食の食事つきで、食べるには困らなかったが、先生から頂く給料だけでは、アパートも借りられず、仕事場の机の下が、ぼくの寝床だった。

当然、イスもあり、真っ直ぐになって寝る事なんて出来ない。しかし、目が覚めれば、そこがもう仕事場なんだから、通うこともなく、一日中仕事漬け、マンガ漬けになれる。だから、そんな生活に、不満など全くなかった。マンガが、死ぬほど描けるだけで幸せだったのだ。

ある日、3日も徹夜が続き、やっと仕事が終わった。次の仕事は明日からだ。やっと寝られる。ぼくは、仕事場の机の下に、布団を敷いて、ネコのように身体を丸めて寝た。

ところが、いきなり、すごい衝撃で、目が覚めた。後頭部が、薄い敷き布団の上に、ゴチンっと落ちたのだ。 突然すぎて、何が起こったのか、さっぱり分からなかったが、それも、すぐに理解できた。先生に、枕を蹴飛ばされたのだ。

先生は、寝ているぼくの頭をまたぐようにして、鬼のような顔をしている。

「ゴロ、いつまで寝ているんだ!」 「す、すいません!」

ぼくは、寝過ぎてしまったのかと飛び起きた。フラフラと立ち上がって、布団をたたんだ。そして、自分の机に着いたのだが、頭が全然起きてこない………というより、パニックを起こしているのだ。

壁に掛かった時計を見る。 なんと、横になってから、まだ、3時間とたっていない。先生だって、つい先ほどまで、一緒に仕事をしていたはずなのに・・。

「先生。まだ、3時間も寝ていません。仕事は明日の朝からじゃないんですか。」

ぼくは、思わず、そう言ってしまった。すると、

「ばかもの!おまえは、マンガ家になりたい人間が、世の中に何人いると思っている。百人や二百人じゃないぞ !! 千人以上、いや、もっとかも知れん。おまえが、そうして寝ている間にも、そいつらは、腕を磨き、マンガを描いているんだぞ。 本当に、マンガ家になりたかったら、そいつらよりも、一本でも多く線を引いて、上手くならねばいかんとは思わんのか!

 仕事が終わった。さあ、それからが、おまえの時間じゃないか。いつまでも、ダラダラと寝ていないで、線の練習でもしようと思わんのか!」

先生の言うことは、もっともだと思った。でも、今は眠い。それでも、白い原稿用紙を出して、ぼくは、線の練習を始めた。身体がブルブルと震えている。目がかすんで、ペン先すら見えない。まぶたが重い。 思わず、ウトウトとなった。

すると、「ゴロ!」と声がして、バサッと風を切って、雑誌が飛んできた。雑誌は、頭の上を飛んでいって、後ろの窓ガラスに当たった。ちょっと、ムッとして、先生を見返した。すると、今度は、机の上の何かをつかんで、投げた。

ぼくは、それを手で払ったのだが、その瞬間、チクリとした。それは、コンパスだった。小指の付け根あたりをかすめ、血がにじんだ。それから一時間ほどの、沈黙が続いた。

先生は、そのまま、何も言わず、家に帰ってしまった。ぼくは、もう一度、机の下に布団を敷いて、ネコのように丸くなったが、なんだか、悲しくなってポロポロ、泣いてしまった。

『もう、やめよう。こんな辛い思いをしてまで、ここにいることはない。』そう思った。

眠いはずなのに、もう眠ることも出来ないほど、気持ちが高ぶってしまっている。そのまま起き出して、先生の家に向かった。

先生の家は、仕事場から、3分とかからない所にあったが、玄関の前で、ぼくは一時間以上も立っていた。そして、チャイムを鳴らした。

先生のお母さんが、ぼくの顔を見て、何かを察したらしく、ドアを開けるとすぐに

「上がりなさい。すぐに先生を呼ぶから。」と、応接間に通してくれた。

応接間に、現れた先生は、 

「どうした、ゴロ?」っと、 まるで、先のことがウソだったかのように、優しい声でたずねた。

「先生・・・ぼく、辞めます。」

「・・・・・・・・・・・・・そうか。いいよ、やめても。それで、いつ辞めるんだ?」

「今すぐ辞めます。長い間ありがとうございました。」

ぼくは、その日のうちに、東京に住んでいる、唯一の親戚の伯父さんに電話をして、一組の布団と、ひとかかえの本と、着替えが入っているひとつの行李を、車で取りに来てもらった。それだけが、ぼくの全財産だったから。

伯父さんは、

「ゴロ。これからどうする。」と、心配してくれた。

「うん・・・一度岐阜に帰ります。」

そう言って、ぼくは、本当に帰ってしまった。

 

                         つづく