中城健太郎・2

中城先生のところを辞めても、ぼくには、行く当てなどなかった。とりあえず、岐阜の実家に帰り、父や母に、事の次第を話した。

3日ほど過ぎた夜のこと、父が居間にぼくを呼んだ。そして、お茶を一服飲んでから、静かに話し始めた。

「ゴロ。このままでええんか? マンガ家になれんでもええのか? お前は、うちの長男や。 じゃが、耕す田畑があるわけやない。 商売を、しとるわけでもねえ。 うちには、継がにゃならんもんなど、なにもねぇ。 だから、お前は、なりたいものに、なればええんや。」

「うん・・・。」

「中城先生とのことは、ちっともたいしたことやない。 お前の辛抱が足らなんだだけや。 それに、一番好きなマンガをやめて、他に何が出来る。 お前のように、辛抱が足りんやつは、これから先、なにをやっても辛抱なんかできんぞ。」

確かにその通りだった。

マンガ家以外、自分の生きる道はないと、決めていたんだ。マンガ家になれないなら、死んでもいいと思っていたんだ。その、マンガ家をあきらめるということは、死んでしまうと言うことなんだ。実際に、死ななくても、生きたまま、死んだ人生を、ずっと続けていかなければならないことなんだ。

「ゴロ。もう一度東京へ行け。もどってくるな。ここには、もう、お前の住む場所はない。」

その夜、ぼくは眠れなかった。頭の中で、

『お前の住む場所はない。』という言葉だけが、グルグル回っていた。

「もう一度、東京へ行こう。」

その結論は、明くる朝、すぐに出た。そして、そのまま、新幹線に乗ってしまい、東京駅に降り立って、初めて『さて、これからどうしよう。』と、考えた。

『ぼくは、いつも、行き当たりバッタリなんだ。とにかく、マンガの描けるところに行かなくては。』

そう考えていたら、高校生の頃、一夏だけ、アシスタントをさせて頂いた、つのだじろう先生を思いだした。 ぼくは、新宿十二社にある、スタジオ・ゼロに向かった。

お昼を過ぎた頃で、つのだ先生は仕事中だった。それでも、久しぶりに訪ねたぼくを、快く招いてくださった。

「ゴロ。どうしてたんだ。高校を卒業したら、アシスタントに来てくれると、思っていたのに。」

「すみません。編集の方の紹介で、中城先生のところに行きました。でも・・・。」

それから、いろいろあったことをすべて話した。

「そうか。そんなことがあったのか。それで、ゴロ。これからどうする?」

「はい。もし、できることなら、ぼくを、雇ってもらえませんか?」

ぼくは、一途の望みをかけて切り出した。ところが、つのだ先生は、腕組みをしたまま、すぐには、答えてはくれなかった。そして、

「ぼくに、雇ってくれと言う前に、ゴロ、やらねばならんことがあるよ。 中城先生は、厳しかったかも知れないが、ゴロのことを思ってのことだ。 また、理由はどうあれ、今のままでは、ケンカ別れのようなものだ。 ことわざに、『立つ鳥、後を濁さず』と言う。 中城先生には、きちんと謝り、もし、うちに来たいのなら、その許しをもらっておいで。 それが、大人のケジメだよ。」

ショックだった。自分は、本当に、甘いと思った。

若いから、失敗も許されると思っていた。だが、それは、自分で自分を甘やかしているだけのことだった。学生じゃない。社会人なんだ。一人の人間として、認めてもらえるようにしなければいけないんだ。大人なんだ。

それでも、つのだ先生は、やさしく、

「当分はアシスタントのアパートに、寝泊まりしてもいいよ。話は、中城先生とのケジメがついてからだ。」

と、泊まる所を、与えてくださった。

 

ぼくは、まず、中城先生に、謝罪の手紙を書いた。しかし、返事はなく一週間が過ぎた。マンガを描くこともなく、まるで、宙ぶらりんの状態だ。毎日イライラとして、不安だった。そして、とうとう、自分から中城先生に、電話を入れた。

「もしもし、中城先生ですか。ゴロです。」

ドキドキしていた。「バカヤロウ!」っと、電話を切られても、仕方がないと覚悟していた。

ところが、意外なことに、

「おう、ゴロか。どこにいるんだ。夕飯までには戻ってこい。」

それは、ぶっきらぼうだったけれど、ものすごく、あたたかい言葉だった。

「は、はい。すぐに帰ります。すぐに、帰ります。先生、すみませんでした。」

涙が、ボロボロ流れた。

自分の居場所があった。自分を許して、自分を待っていてくれる人がいる。ただ、それだけで、嬉しかった。 そして、そのまま、つのだ先生に別れを告げて、中城先生の待つ、東久留米団地の仕事場に戻った。

人間関係というものは、ひとつ垣根を超えてしまうと、とても、親しみやすくなるものだということが、よく分かった。

中城先生の所には、結局、一年間しかいなかったが、その間の楽しかったこと。厳しさは、全く変わらないのだが、その裏側にあるものが、優しさであることが、ビンビン感じられた。先生の教えてくださることが、何の抵抗もなく受け入れられるのだ。

ぼくのマンガ家への扉は、厳しくもやさしい中城先生によって、開かれた。