「天才の思いで」




第四回:「新聞」


 漫画家入門を 読んでから、悩みが 始まった。 趣味とかスポーツなんていうのは、本当に楽チンだ。何の責任もないし、(自己満足の世界だからね) しかし、これが、プロ思考になると 途端に 辛くなる。

 例えば、僕が象を描いたとする。・・しかし、友達は、豚だと言う。もっとひどいのは、モグラだと 言う。

「へっ、おめぇらなんかに、何が わかる。」

「顔の 真ン中に光ってるのは何だ ? ふし穴か ! 銀紙でも貼っておけ !」(落語ネタ)

・・・・なぁんて、開き直れるのは、アマチュアだ。 プロなら、象は、誰が 見ても 象に 見える様に 描かねば・・・ ! それなのに・・・馬だ ! バクだ ! 牛だ ! ・・・あかん、あかん、これは、象や! パォォォ〜ン・・・悲痛な 鳴き声が、毎夜、僕の 部屋から 聞こえる様に なった。

 中学三年に なった。

「高校進学なんて、どうでもいい。自分の力を試したい。それには、漫画家入門にも書いてあった様に、自分の絵を編集者に見て貰う事だ。それには、東京に出ねば・・・・。」と、考え始めた。

   B 型家族の家族会議 ;

僕━「父ちゃん、母ちゃん、オレ、漫画家に なりてぇ。東京へ 出してくれ。」

父ちゃん━「あかん ! 野獣を 野に 放つ訳には いかん。」

母ちゃん━「お前はアホじゃ。でも、もうちょっと勉強すれば、もうちょっとマシなアホになれるかも 知れん。」

父ちゃん━「高校へ行け。お前の様な最低のアホでも、入れてくれる学校がある筈じゃ。」

僕━「いやだ ! 漫画家に なりてぇ。」

父ちゃん━「今時の漫画家は、高校ぐらい行かにゃあ。その内、大学出て、漫画家に成り下がる アホも 出て 来るぞ。」

僕━「ほんなら、高校出たら、漫画家に なってもえぇのか ? 」

母ちゃん━「なれりゃあ、なれ。」

僕━「なる ! なったる ! 」

・・・・・という様な家族会議 ? で、僕は期待どおり、最低のアホ高校へ行くという、ひどい 羽目に なってしまった。

くっそ〜。 編集者に 絵を 見てもらいたい !  どこかに、編集者は いないか ?・・・・・考えて、考えて、考えた。

  いた !  編集者。

 僕は、岐阜日々新聞社(現・岐阜新聞社)に、それまで描きためた漫画原稿を、風呂敷に包んで 持ち込んだ。 僕にとって、初体験だったが、新聞社としても、初体験 だったらしい。 お互い、何と 言っていいのか 分からない。

 ところが、文化部の 人が ( 名前は忘れた )

「ほほう、高校生で、こんな事を夢見て、頑張ってるんだ。今度、取材をさせてくれないか?」

と、言い出した。

 それから、我が家は、大混乱に なった。

新聞社が、取材に来る・・・・・それだけで、障子を張り替え、畳に絨毯を敷き、掛け軸をかけ、母ちゃんはパーマに行き、父ちゃんは会社を休んで、何十本とタバコを吸って、僕は パンツを 履き替えた。 おまけに、犬は近所に預けられ、姉は高校を早退し、弟は遠くまで、買い物に行かされるという 始末。 今でも、当時の 記事を 思い出す。 あんなに、漫画に 反対していた 両親が、

「将来、漫画家に するんですか ? 」・・・・・という 質問に、

「なれるものなら、ならせたいです。」・・・と、答えていた。

近所の 人たちや、親戚までも、新聞の 出た日に、バンバン 電話を かけてきた。 当然、周りの 僕を 見る目も 変わった。

「山田さんチの ゴロちゃんは、漫画家に なるンやね。」と・・・・。

さあ、もう、後は、止められない。 学校でも、担任の先生が、新聞に出たことで誉めちぎってくれ、同級生も尊敬の目 ( ? ) で 僕を 見てる・・・様な 気が した。 暗い 地味な 漫画家志望者が、突然 日向に 出されて、目が くらみ、何も 見えなくなった。 僕は、有頂天に なったのだ。 いや〜、楽しかったにゃ〜。

 ただ、新聞の 記事の中で、気に なるところがあった。それは、編集者の コメントだ。

「山田君は、今は、手塚治虫や 石森章太郎の マネだが・・・・。」という、部分。

僕は、これに、カチンと きた。

「冗談じゃない ! 僕の絵は、僕の絵だ。」

「きっと うまく なってやる。絶対、プロに なってやるぞ。」

 しかし、この 新聞騒動も、二ヶ月も すると、醒めていった。 人の 噂も 七十五日とは、よく いったものだ。 だが、この 新聞に 掲載された事が、僕の 人生を 大きく 変えて行くことに なる。

                            続く




 第五回:「編集者に会う」


→とびらへ