「天才の思いで」




第十四回:「ファンクラブ」


 石森プロは 新宿の 柏木にあった。 石森先生の 自宅と 仕事場は 練馬の 桜台に あった。 こちらも 石森プロ ?

 実は、石森先生のところは、石森スタジオと呼び、実質的に 先生が マンガを 制作するところ。 新宿のほうは キャラクターの 管理や、テレビ・映画等の 企画等をする 事務所で こちらが 石森プロだ。

 それは、マンションの 4階に あった。 ブザーを 鳴らすと、メガネをかけた 人の 良さそうな 青年が 出てきた。

「 先生から 電話が ありました。どうぞ。」

応接に 通されて かしこまっていると、今度は 太った男が ニコニコしながら、お茶を 運んできた。 目の前には 天然パーマで、ひげもじゃの 長身の男が マンガを 読んでいる。

「ねえねえ、どこから来たの ?」

「どんな絵をかくの ?」

「歳はいくつ ?」

いろいろ質問を してくる。 一体、なにもんなんだ、あんたたち。

「 ぼく、青柳誠って いいます。 石森章太郎ファンクラブの 会長です。」 メガネを かけた人の良さそうな 青年だ。

「 ぼくは、島田寿明って いいます。 ファンクラブの 会員です。」 お茶を 入れてくれた 男だ。

「 津島邦彦です。 同じく ファンクラブの 会員です。」 ひげもじゃの 男だ。

芸能人の ファンクラブって 聞いたことは あったが、漫画家の ファンクラブなんて 初めてだった。 三人とも、まだ大学生だ。

 石森プロは、当時 ファンクラブの 梁山泊のような ところだった。 毎日、入れ替わり 立ち替わり、ファンクラブの 人たちが 出入りして、24時間 誰かが いるのだ。 石森章太郎ファンクラブには、その後 ずいぶん 世話に なった。 うれしいにつけ 悲しいにつけ、いつも 励ましていただいた。今は、みんな 家庭もあり、それぞれの 仕事もあるので 会うことも 少なくなってしまったが 、会えば あの頃に 戻って はしゃいでしまう。 東京へ 出てきて、一番最初に できた 親友たちだ。

 石森プロは、敏腕の たった一人の マネージャーが、すべてを 仕切っていた。 しかし、石森先生の 人気に、とても 一人では こなしきれない。 それを カバーしていたのが 彼らだった。 しばらくすると、その 加藤マネージャーが、出先から 帰ってきた。

「 なにか、絵を 持ってきましたか ? 」

「 はい。ウルトラマンを・・。」

当時 師事していた 中城先生は、ウルトラマンを 描いていた。 ぼくは、背景・着色を 任されていたが、時には、怪獣や ウルトラマンも 描かせて もらっていた。

「 仮面ライダーを、描いて みてくれない ? 」

「 あの・・・。 なんですか、それ ? 」

「 えっ、きみ、仮面ライダーを 知らないの ! 」

「 ええ。 聞いたことも、見たことも ありません。」

 仮面ライダーは「 ぼくらマガジン 」で、すでに 連載されており、テレビでも 放映が 始まった ばかりだった。  しかも、子供たちの 間では、爆発寸前の 人気に なっていたのだ。 ところが、ぼくは、東京に 着いた その日に、中城先生のところに 入ったきり、世間と 隔離されたような 状態で、世の中のことは まったく 分からなくなっていたのだ。 まさに 空白の一年だ。

そばにいた 青柳さんに、資料を もらった。 バッタの怪人か。  これがサイクロン号か・・・。

 後日、3枚ほど 仮面ライダーの イラストを 描いて出直し、とうとうぼくは、石森プロの

   山田ゴロ に なった。

                            続く




 第十五回:「すがやみつる」


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