石森プロを辞めてしまったが、先生との交流が無くなった訳ではない。 一ヶ月に何度も打ち合わせで、先生に会う。 毎年の忘年会や、新年会に招かれる。 金沢や広島、伊東、サイパンなど、よく旅行にも連れて行ってもらった。 そんな時も、先生の周りには、沢山の人が一杯だった。 一杯の人の中心で先生は、いつもニコニコしていた。 ・・・・・・・・・・。 いつも、ニコニコしている先生の顔を見なくなったのはいつ頃だったろうか。 桜田吾作さんから電話があった。 「おい、ゴロ。先生の具合が悪いって聞いたんだが、何か知ってるか ?」 「えっ ? 先生が !」 ぼくは、すぐ石森プロに電話をかけた。 「先生が入院中ということを聞いたのですが・・・。」 「すみません。何も答えられません。」 「お見舞いをしたいのですが。」 「それも、どなたもお断りしています。しばらく安静が必要ですし、マスコミに知れたりしたら、それも出来ませんから・・・。」 それ以上は聞けなかった。 ぼくの記憶が正しければ、石森という名字が石ノ森になったのは、その頃だったと思う。 噂だが、ある占い師が、石森よりも石ノ森のほうが運が開けると言ったそうな。 もともと、石ノ森村の出身だからペンネームを、石森にした。 だから、石ノ森になっても構わないが、先生の運は、そんなことをしなくても、洋々としていたはずだ。 ・・・・しかし、それは先生の容態の悪さを感じさせた。 毎年恒例だった、新年会も開かれなくなった。 それでも、ある年の暮れ、石森プロから連絡が入った。 「先生が退院して家にいます。」 ぼくは、桜田吾作さんたちと連絡を取って、新年の挨拶に行くことにした。 いつもなら、靴を脱ぐ場所もないくらい人が集まる先生の家は、静かだった。 招かれて二階へ上がると・・・デーンと先生がいた。 「よう」 久しぶりに聞く先生の声だった。 「元気か? 息子はどうしてるんだ。大きくなったろ。」 「はい。もう高校生になりました。もうすぐ大学受験です。」 「そんなになるのか。年をとるはずだな」 病気のことは口にしなかった。 長男の丈くんが、先生をかばうかのように、けなげに働いていた。 帰る道々、ぼくらは口数が少なかった。 「先生。顔色よかったな。」 「少し太ったのかな・・・。」 太ったのではない。強い薬を使っているため、副作用でむくんでいたのだ。 冬の冷たい空気よりも、冷たいものがぼくらの心を冷やしていた。 続く |
第二十四回:「母と」 |
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