「天才の思いで」




第二十四回:「母と」


 生者必滅会者定離。   1998年・・・・1月。

ぼくにとっては、悲しい年明けだった。

 1997年の12月。年も押しせまった頃、母がくも膜下出血で突然亡くなった。 ぼくに、絵を描く楽しさを教えてくれたのは、母だった。

小学校の頃、自衛隊の公開訓練を見学したことがあった。 その時、航空自衛隊の、落下傘降下訓練が心に残り、夏休みの宿題の絵は、その光景だった。 大きな飛行機から白い花を咲かす、パラシュートをいくつも描いた。

学校でも、金の短冊を貼られて、作品展に飾ってもらった。 しばらくして、友達が、

「ゴロの絵は、ウソの絵だ。」と言いだした。

その理由は、絵の構図だった。 普通なら、空を見上げて見えたものだから、飛行機が小さくなって、降りてくる兵隊たちが大きくなる。 もしくは、地面、空、飛行機、落下傘が、平坦に描かれるのだろう。 ところが、ぼくの絵は、飛行機よりも高いところから見ている構図になっている。 パラシュートも上部が見えて、兵隊たちは、迫ってくる足下を見下ろしている。 青い空はどこにもない。空から見た地上があるだけだ。 そこには、見物しているぼくたちもいる。 ぼくは、とてもがっかりした。 しょんぼりしていると、母が絵を開いて言った。

「よく描けたね。帰ってきてから、思い出しながら描いたんやね。ゴロの心の中に残ったんは、こういう様子やったん。 ほんでも、よう描けとるわ」

「ほんでも、みんなウソの絵やいうとる」

「ええやないの。みんなにはこんなふうには、見えへんのやわ。 見たままを描くだけが、絵やない。 想像力も必要や」と、言ってくれた。

母の、あの言葉がなかったら、ぼくはマンガにもたどり着かなかっただろう。

 その母を亡くしたすぐ後だった。 母の四十九日の法要のため、岐阜に帰省する日の朝のことだった。 悲しいニュースが、飛び込んできた。

   「石ノ森章太郎・死す」

                            続く




 
 第二十五回:「1998年1月28日」


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