「天才の思いで」




第二十五回:「1998年1月28日」


   1998年1月28日 石ノ森章太郎、死す。

すでに、1月30日だった。 母の 四十九日のために、岐阜に 帰省する朝。 衝撃のニュースが 流れた。 テレビ画面に、丈くんや、夫人が 斎場から、黒塗りの 車で、出てくるところが スクープされていた。

   石ノ森章太郎、死す・・。

 不安は あった。 しかし、

「 うそだ。うそだろ !」っという言葉だけが、頭の中をかけめぐっていた。 ぼくは、部屋の窓を 全部開けた。  冷たい空気が、一気に侵入し、暖かい空気を 追い出してしまった。 ぬくぬくとした部屋には、とても 居られない気分だったからだ。

なんということだ!!

わずか一ヶ月の間に、ぼくは 大切な人を 2人も 亡くしてしまった。 体中から、深いため息と 共に 白い息となって、力が 抜けていく。 すでに、密葬も 終わっていた・・・・。 先生の 最期は、家族に 看取られ、とても 穏やかであったと、聞いている。 家族の、一人一人に 言葉を 残されたそうだが、ここでは それを書かない。

 母の 四十九日を済ませ、東京に とんぼ返りをした。 先生の 葬儀は、行われないということだった。  また、混乱を避け、お花も、弔問もご遠慮いたしますという、連絡があった。 しかし、ぼくは どうしても、先生に 会いたかった。 すでに 遺骨となっていても、先生のすぐ近くに 行きたかったのだ。 その気持ちは、ぼくだけでは ない。 桜多吾作さん、永井豪さん、すがやみつるさん、細井雄二さん、氷魚あきらさん・・・みんな、同じだった。 そんな気持ちが 伝わったのか、「 内々の人だけなら 」ということで 弔問することを許された。 ぼくは、飛ぶようにして 出かけていった。 池袋で、西武線に 乗って 桜台まで・・・。  電車に乗ると、目の前に 寂しく 肩を 落とした、永井さんがいた。 ぼくと、永井さんは 一言二言、話をし、後は 押し黙ったままだった。

 桜台の 駅に着く。

「 ずいぶん 変わったな。 何年ぶりだろ。 この駅を 降りるのは・・。」

ぼくも、永井さんも、しげしげと 周りを 見渡した。

 桜台駅前の 喫茶店で、みんなと 待ち合わせ、先生の 家に 向かった。 踏切を 渡り、交番の前を 通り、商店街の続く道を まっすぐに 歩いていく。 もう、何年も前の、あの 暑い夏の日を 思い出す。 先生に 初めて会った、あの日と 同じ道だ。 道に 迷い、八百屋さんに 教えてもらった道。 二又に 分かれた、道の真ん中に、おおきな「 けやき 」が、むかしの ままだった。 しかし、今日は、お別れをするために 歩いている

 先生の 家の前に 立った。

「 先生。 来ました。 お久しぶりです。」 ぼくは、心の中で つぶやいた。

                            続く




 第二十六回:「石森先生へ」


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